時勢が目まぐるしく変化していく江戸時代後期。この時代を生きた絵師に、狩野梅春貞信という者がある。彼は栃木県宇都宮市の出身で、絵師となるために江戸に出て来てからは狩野派に身を託していた。そして、表絵師として幕府・大奥に仕え、後に深川水場狩野家の当主となる。梅春貞信の晩年にあたる嘉永年間には、日光御用を仰せ付かるほどの腕前だった。
しかし、この頃の狩野派は幕府に密着した立場にいたものの、画家としての立場には陰りがみえていた。衰退していくことが誰の目にも明らかだった狩野派。そこから離れなかった梅春貞信。彼はどのような人物だったのだろうか。彼に関する文献・史料は非常に少なく、その痕跡を辿るのはなかなか困難だ。だが、彼が絵師として生きた証は生誕地宇都宮にも、画を学んだ東京方面にも残っている。
今回の論文では、この数少ない痕跡を基に、梅春貞信の人物像・生涯・画業・人間関係等を辿っていきたいと思う。